我が家にピアノがあった日々
息子が幼稚園の年中さんだったころ、幼稚園の先生が弾くピアノに憧れて、ピアノを習いたいと言い出した。
社宅住まいだったので大きなピアノも置けないし、何よりも息子の意欲が続くかどうかわからない。とりあえずピアノ教室に通わせて、家での練習は幼稚園のピアニカでやらせてみた。
習いに行った先の本物のピアノの感触が好きだという息子、週に一度は本物に触れる時間を半年以上続けた。
ちょうど家を建てるタイミングだったので、ピアノがあれば息子も喜ぶだろうなぁと考えていた時、大学からの私の親友が、「それならピアノ、良かったら使ってくれない?」と言ってくれた。え?ピアノって本物の?!
彼女は高校までピアノを習っていたけれど、大学から実家を出たのでピアノに触れる機会も無くなり、誰にも弾かれずにそのピアノは今も実家に置いてあるという。
太っ腹な親友とそのお母さんは、どうぞどうぞと快くピアノを我が家へ送り出してくれたのだ。
新築の家にピアノが届き、新しい土地で子供たち(下の娘も)ピアノを習い始めた。ピアノを習っていなかった私には未知の世界だったけれど、子供たちは発表会だけでなくコンクールにも出た。
舞台の上で正装した息子、シャツのすそがしっかり出てるやん、と残念な気持ちになったけど、全く緊張した様子が無く、演奏もしっかり弾いて賞をもらったこと。
習い始めの頃、娘は泣いて舞台に上がれず、順番を変えてもらってそれでも肩を震わせながら何とか弾けたこと。数年後には堂々と舞台に上がる娘の成長が誇らしかったこと。娘も賞をもらうほどがんばった。
ピアノを習うことで親子共々たくさんの思い出が出来た。
そんなピアノも、子供たちが小学校高学年になり別のことに興味が向きだし、、、調律もぜずに物置となってしまっていた。それが当たり前の風景になっていた。
ごめんね、という気持ちがあった。いろんな意味で。
親友のご両親がこのピアノを買った日の気持ち、譲ってくれた親友の気持ち、いろんな事が頭をよぎり、なかなか言い出せずにいたけれど、思い切って親友に聞いてみた。
「ピアノ、我が家でも誰も弾かなくなってしまって、、業者さんに引き取ってもらっても、いいかな?」
親友は、「全く気にしないよ、あのピアノはあげたんだから好きなようにしてね」と、また太っ腹な返事をくれた。
それでもやっぱり迷う気持ちもあったけれど、もうすぐ来る春に、新しい場所で輝く姿になっているだろうと気持ちを固めた。
二月のある晴れた日、親友のピアノが旅立っていった。また誰かの元で、きちんと調律されて弾いてもらう日がくるだろう。今までありがとう、という意味を込めて、我が家で見る最後のピアノに花を飾った。
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